好きな仕事で生きていこうとして失敗した東大生の末路

「好きなことで生きていく」というのが、ここ最近のイケてる人たちのキーワードとなっているように思います。

旧来の慣習に縛られず、自分の持っている価値を自分らしく提供することで社会に貢献でき、なおかつ豊かに暮らしていくこともできる。そんなような話です。

私はTwitterなどで「失業東大生」と名乗っておりますが、そもそもなんで失業してしまったのかというと、この「好きなこと」のしがらみに取り憑かれていたからだと、ここ最近はそんなことを考えています。

この記事では私が東大に入った経緯や、どうして失業してしまったのか、そして好きなことをするという呪縛から解き放たれた私のこれからの人生について簡単にご紹介したいと思います。

この文章は、一般的なブログで言うところの「プロフィール記事」に相当するものでもあり、またこのブログのコンセプトである「勤め人卒業」についての解説にもなっています。

このブログ「勤め人卒業計画」と、管理人である私についてご興味がある方は、ほんの少しだけお付き合いください。

私を形作る「知的好奇心」という遺伝子

私の基本的な考え方の一つに、人の能力や才能は生まれつき遺伝子で規定されているのだというものがあります。これは、元バイオ系研究者としての専門的な知識から導かれた結論でもあり、また社会教育学者などの間でもごく一般的な学説となっています。

それでいうと私を一番私らしく規定しているのは、知的好奇心に関する遺伝子であろうと思われます。

世の中には未知のものに対して恐怖心を抱く人もいれば、反対に興味や関心を抱く人もいます。わたしは特に後者の傾向が強く、自分の知らないことに関しては並々ならぬリソースを割けることができるタイプの人間です。

原因ははっきりとは分かりませんが、おそらく神経細胞のシナプスにおける何らかの受容体の発現強度が人よりも強いとか、まあそういった理由なのでしょう。遺伝子でその人の個性が決まるというのは、要はそういうことです。

それで、私はいわゆる天才タイプの人間ではありませんでしたが、学校の勉強は非常に楽しかったという記憶があります。初等教育で受ける様々な知識や学問は実社会ではほとんど何の役にも立ちませんが、学生だった私を満足させるには十分すぎるものだったのです。

ですから大人になって、勉強は大して好きではないのに、将来の人生や出世のためにコツコツと努力できる人がいると知って、愕然とした記憶があります。やりたくもないことにそれほどのパワーを割ける人に、この残酷な資本主義社会で勝てるわけがないのです(笑)。

まあ、そのことに気づくのはかなり年を取ってからのことですが。

1回目の失業(未遂)

それでなんやらかんやら勉強を続けて東大に合格することができたあとも、私の関心はいかにして自分の知的好奇心を満たすかにありました。まさに、やりたいことをやるための人生を生きようとしたのです。

理系の学部に進学し研究者の道を志したのも、今にして思えばとても素直な選択でした。

しかし、これが最初の失敗でした。

私たちが生きている日本は、成熟期から衰退期に入ろうとしています。これを私は「下り坂社会」と表現しています。下り坂社会の日本では、研究者のように何の役にたつのか分からない仕事をしている人を養う余裕はもはやありません。

研究者の多くは非正規労働者として働き、単年度の契約更新に怯えながら生きています。私は、そんな生活をしてまでやりたい研究に巡り会うことができませんでした。

そこで研究者の道は諦め、民間企業で働くという選択をとることにしました。ちょうど30歳を迎えての方針転換でした。

とはいえ、30歳にもなって社会人経験のない人間を雇ってくれるよな企業を探すのは非常に大変なことでした。科学者としての契約更新はするつもりはなかったので、次が見つからなければ失業してしまいます。これが、私の人生にとっての最初の失業の危機でした。

幸いにして、科学者相手に試薬や機械を売っているメーカーを見つけ出し、そこでなんとか働かせてもらえることになりました。勤め人としての人生のスタートです。

2回目の失業

働きはじめてからも私の関心の中心は、いかにして知的好奇心を満たすかにありました。

世の中には戦略コンサルタントや外資系企業のマーケティングなど、エキサイティングな仕事をしている人がいる。それに比べて、自分の仕事は地味で退屈で、とても知的好奇心を満たせるようなものではない。そんなことを考えるようになりました。

そこで私が取った選択は、会計の資格を取るという、今にして思えばこれもまたあまりセンスの良いチョイスとは思えないものでした。

会計の資格をとることで、経営に近い現場で働くことができるのではないか。それが当時の自分なり出したキャリアの作り方でした。

さすがに日本の公認会計士試験を受ける気力はありませんでしたので、米国公認会計士、通称USCPAというマイナーな資格に目をつけました。これなら選択式の問題を解くだけなので、難易度は桁違いに低いのです。

勉強を始めてみると、会計や監査の世界というのは奥が深く、初めて触れる知識に新鮮な気持ちを抱きました。ここでもやはり、知的好奇心の充足が私にとって最大の関心ごとでした。

USCPAは当初思ったほど簡単ではなく、なかなか苦労しましたが、最終的には合格することができました。その後、首尾よく大手の監査法人への転職も果たすことができました。

ところがこの監査法人への転職は、完全なる失敗でした。私が今まで生きてきた選択の中で確実にワースト3に入るであろうミスといってよいでしょう。

率直にいって、監査法人で働くために必要なおよそあらゆるスキルが、私には備わっていなかったのです。例えば、ミスなく正確に言われた通りの作業をするという能力は、私の遺伝子には刻み込まれていませんでした。

それに追い打ちをかけるようにして辛かったのが、私の上司となる人による過酷なプレッシャーでした。

東大出身だというこの人は、私に並々ならぬ期待をかけてくれる一方で、事あるごとに細かく指示を出してきました。このときになって初めて私は、自分の心に眠るもう一つの遺伝子を見つけ出しました。それは、他人からあれやらこれやら指示を受けることに耐えらえれないという、社会人としては決定的な弱点でした(笑)。

ちなみに私の上司だったような人のことを、最近では「クラッシャー上司」と呼ぶそうです。

この上司による過干渉と高すぎる目標設定のおかげで、私の心と体は見事にクラッシュしました。

精神科に通院するなどの経過を経て、私は退職する道を選びました。監査法人に転職してからわずか1年後のことです。

次の転職先を見つけないままの退職だったため、この時はいよいよ実際に失業してしまいました。子どもはまだ小さく、一体自分はどうなってしまうのかと不安を感じたときのことを今でもよく覚えています。

38年かけてようやく見つけた「勤め人卒業」という言葉

その後どうにかして、かつて働いていた科学機器業界にすべりこむことができました。楽しくもありませんが、監査法人のような辛い業務もなく、まさにゆるふわ企業といったところです。

それで私の知的好奇心熱が冷めたかというとそんなこともなく、転職後はアフィリエイトによるブログの収益化や仮想通貨など、相変わらず色々なことに手を出しています。遺伝子というのは年を取っても変化しないのですから、これは当然といえば当然のことです。

そんな中で折り合いがつかないのが、仕事との付き合い方でした。知的好奇心を満たすことのない仕事に自分の人生を費やすことについて、どうしても納得した答えが出せなかったのです。

そうした思いを持っていたところ、衝撃的な出会いを果たすことになりました。

それが、Voicyという音声配信サービスで出会ったサウザーさんの話です。

サウザーラジオ 〜青雲の誓い〜

サウザーさんによると、そもそも勤め人というのは資本主義社会においては搾取される対象なのであって、勤め人を卒業しない限り自由な人生は手に入らないというのです。

この発想は、自分の人生においてコペルニクス的転回を迫るものでした。

なぜなら私に取って仕事とは当然楽しむべきものであって、環境さえ整えば知的好奇心を満たすのに充分な経験を与えてくれるはずのものだと信じていたからです。

だからこそ私はこれまでの人生で科学や経営など、自分の知的好奇心をなんとか満たしてくれそうな仕事を探しては、挫折と失敗を繰り返してきたのです。

ところが発想を変えて、雇われの仕事なんてものは本来楽しいものではなく、本当に知的好奇心を満たしながら生きたいのであればサラリーマンなどしている場合ではないと考えると、今までの自分の苦労や悩みが全て解決されることに気づいたのです。

私の遺伝子が私に訴えかけていたのは「好きな仕事で生きていく」のではなく、「好きなことをするために、いかにして自由になるか」ということだったのです。これを一言で表した言葉が、このブログのタイトルにもある「勤め人卒業」です。

私は38歳にしてようやく、自分の生きるべき道についた言葉を見つけ出したのでした。

それでも自分はラッキーである

こんな感じで私の人生を振り返ってみますと、随分と遠回りもしましたし、要領も悪かったと思います。特に経済面においては、東大というネームバリューを全く活かせず、損な生き方をしてしまったようにも思います。同年代の東大生と比べれば、生涯年収の差は1億円ではきかないでしょう。

それでも私は、自分の人生は非常にラッキーだったと感じています。

少し話はそれますが、東大を卒業して研究者になった方が書いた文章で、科学者業界では有名なものがあります。

研究者の声:オピニオン -無題

この方は東大を卒業してアメリカで研究者になるも研究がうまくいかず、経済的にも、あるいは研究者としても、満足な成果を残せなかったと告白をしています。

気がついたら、自分の部屋の古くさいベッドの上で大泣きをしていた。涙が止まらなかった。こんなにも自分が泣けるということに驚くほどだった。あんなに泣いたのは何時以来だろうか。小学生のころだろうか。いや、小学生時代は既に周りから神童扱いを受けていたので、あんな風には泣くことはなかったはずだ。ということは幼稚園以来か。

……

自分の人生は終わった。世界を変えるような大発見も大活躍も出来なかった。遺伝子も次に引き継げない。しかしそんなものなのかもしれない。学生時代、自分は間違いなくエリートで輝いていた。それで充分だろう。

一方で私は早々と研究を見限り、何度も失業の危機にあいながらも、こうしてしぶとくしなやかに生き延びています。

それでは彼と私との差は何かというと、もうこれは運としか言いようのないものだと思います

彼は彼なりに努力し、タイミングを見計らって新しい人生に舵を切ろうとしたこともあるでしょう。ところが一つ一つの行動のちょっとしたタイミングが悪く、気づいた時には後戻りできないほどの場所に流されてしまったのだと想像します。そんな彼を、行動力がないだとか、マクロな社会的視点が欠けていたなどと批判するのは簡単です。しかし人生というのは私たちが思っているほど自分でコントロールできるものでもないのかもしれません。

私の運の良さは、嫌だと思ったら真っ先に諦めて逃げ出すというフットワークの軽さと、いつでもなんとなく楽観的に生きていけるという性格に由来するものだと思っています。そしてまたこうした特性も、私の遺伝子が織りなす模様の一部です。

私は何の根拠もありませんが、勤め人の卒業は絶対にうまくいくと信じています。その過程をつぶさに綴っていこうというのが、このブログの趣旨です。

さて運というものは、運の良い人の周りに集まってくるといいます。もしも私の持つ運気にあやかりたいと思っていただけましたら、是非ともこのブログの読者になってください。また、Twitterも不定期につぶやいておりますので、よろしければフォローしていただけるとありがたいです。

またnoteというサイトで、このブログでは触れていない本音の話や、日々感じたことなどをお伝えしています。音声配信もおこなっていますので、ご興味のある方はのぞいてみてください。

失業東大生の人生研究日誌

ということで、長い自己紹介にお付き合いいただきましてありがとうございました!今後ともどうぞよろしくお願いします。

失業東大生こと、ケンドー修介

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