勤め人の卒業

勤め人に向いていないと思ったら卒業して自由な人生を手に入れよう

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自由な人生というものに憧れている人は多いでしょう。

私にとって自由とは、いつの日か会社を辞め、経済的独立を果たすことです。

一方で、勤め人をしながらも不自由さを感じることもなく、会社員生活に充実感を覚えている人もいます。そうした人はこの資本主義で圧倒的な全能感を持っており、この世界は自由に満ちあふれた素晴らしいものと映っています。

でもそういったことを考えられる人はごくわずか。

ほとんどの人にとって働くと言うのは、自由を奪われることと同じです。

この記事では、なぜある種の人が働きながらにして自由を感じることができるのかについて考察します。その上で、勤め人が不自由である理由、そして自由を手に入れるために何をすればいいのかについてまとめました。

勤め人に向いていない人はどんな人か

勤め人と一言で言っても、比較的仕事が好きな人から、会社に全く馴染めずに苦労している人まで、様々な人がいます。

私が思うに、勤め人には適した資質というものがあります。特に、以下に挙げる2点は重要です。

1.朝起きるのが苦手でなく、決まった時間に出社できる
2.人から命令されたことを素直に実行できる

この2つを苦労なくできる人と言うのは、会社で働くという人生にそれほど多くの不満を持たないでしょう。

逆に、どちらか一方でも極端に苦手意識がある場合、勤め人としての能力は限りなく低くなります。

私は、1については人並み以上の資質があると思っています。特に早起きは昔から得意で、完全な朝型人間です。例えばこの文章も、朝の5時から書いています。したがって、朝起きるのが辛くて会社に行くのがしんどいと思った事は、今まで1度もありません。

一方で、2についての才覚はまるっきりありません。私は、とにかく人から命令されたり指示されたりすることが極端に苦手なのです。研究者になったのも、誰の指図も受けずに自分だけで考えて仕事をできると思ったからです。(実際はそんなことは全くありませんでしたが。。)

資本主義社会において労働者と言うのは、資本家や経営者から受けた命令を忠実に実行することが求められます。この2番目の資質がないという事は、労働者として資本主義社会に参加する権利がないことと同じ意味を持ちます。

もしも1と2の資質をかなり高いレベルで持っていれば、その人は相当な全能感を持って労働に取り組めるはずです。まれに、仕事は楽しいものだと心から言っている人がいますが、そういう人はこの世界がとてもハッピーに映っていることでしょう。

しかし必ずしも全ての人が勤め人に向いているとは限りません。資質があるか無いかは、その人が持って生まれた遺伝的な性質によるものが大きく影響します。勤め人としての才能がなかったとしても、気にする必要は全くないのです。

勤め人は自由を奪われている

そもそも勤め人と言うのは、人間としての基本的な権利である「自由」が奪われた状態です。そういった状態を喜んで受け入れられる人の方が、ある意味では変わった性質といえます。

それでは勤め人はなぜ自由を奪われているのでしょうか。それは、勤め人が労働力を差し出しているからです。

労働力を差し出すというのは、具体的にはその人の時間、体力、そして気力を奪われているという意味です。

時間を奪われると言うのは、文字通りその人の人生の一部を捧げると言うことです。朝、決まった時間に出社することが命じられているのは、時間を差し出していることを労働者に明確に意識させるためです。

体力というのは、いわゆる肉体的な労働の事ですね。デスクワークがメインの仕事となってた現代の労働では、直接的な体力の消費はないかもしれません。しかし、満員の通勤電車に揺られてヘトヘトになるのも、ある意味では体力の提供と言えるでしょう。

そして、意外と気づかれていないのが気力です。上司からは次々と命令を出され、顧客からは無理難題をふっかけられる。そうやって溜まったストレスは、その人の気力を確実に奪っていきます。

気力が奪われると、冷静に物事を判断することができなくなります。自分が自由なのか不自由なのか、一体何のために生きているのか。 そんな当たり前の判断能力を、労働者から奪っていくのです。

このようにして消耗された労働力を、資本家は回復させなくてはなりません。なぜなら、明日もまたその次の日も、労働者に働いてもらわなくてはならないからです。そこで日々の生活費とは別に、わずかながらの金額を上乗せして賃金を支払います。

労働者はこの賃金を、ストレス発散などと言って嬉々として消費に回します。ある人はブランド物の服や時計を買い、またある人は旅行に行って気晴らしをします。それらは全て、奪われた労働力(主には気力ですね)の回復をしているに過ぎません。

こうして回復された労働力を、私たちは再び資本家のために差し出す人生を送るのです。

自由を手に入れるには勤め人を卒業するしかない

かつて私は自由な人生を送りたいと願い、科学者になるという道を選びました。ところがそこにあったのは、アカデミックハラスメントと呼ばれるいびつな上下関係と、1年で切れてしまう非正規雇用の契約だけでした。

私は科学者としての道を諦め、民間企業に就職することにしました。

民間企業では、安定した正社員と言うポジションと、科学者よりはマシと言うレベルの給与を手にすることができました。ところが私には勤め人にとって必要な資質が欠けていたため、色々と苦労をしながら働き続けざるを得ませんでした。

科学者としての道もだめ。会社員としての道もだめ。私はどこに向かっていったらいいのか。

そんな時に出会ったのが、勤め人卒業と言う考え方です

勤め人として働きながら種銭(タネゼニ)を貯め、それを元手にして不動産経営等のスモールビジネスに取り組む。そうやって月々のキャッシュフローを増やしながら、いつの日か経済的独立を果たす。これが勤め人卒業のための最短経路です。

かつて私が願っていた自由な人生とは、このようにして手に入れるのだとようやく気づくことができたのです。

まとめ

勤め人として生きていくと言う事は、多かれ少なかれ不自由な人生を送ると言うことです。

人によっては、それでも勤め人として生きることにやりがいを持っている人もいるでしょう。それは、その人の持って生まれた才能です。

一方でそうした才能がないのならば、つらい思いをしながら仕事を続けるのではなく、勤め人卒業と言う目標を持ってみてはいかがでしょうか。

そのための具体的な方法や、私自身の現在進行系の計画については、このブログで詳しくお伝えしていきます。

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